『李毛異同』

『三国志演義』にはバリエーションがあります。 日本では二種類、通称「李卓吾本」と「毛宗崗本」が、今なお読まれ続けております。 これらの記事では、その両者の違いを比較し、またそれが現代の『演義』読者に与えている影響について考えます。↓もくじ↓

『李毛異同(28)』 -赤壁直前、馬騰はどこにいた?

『三国志演義』が馬超一族をより高めて描こうとしていることは様々研究されており、たとえば正史で「馬超謀反⇒馬騰処刑」であった因果関係が、『演義』では「馬騰処刑⇒馬超謀反」に変わっていることはその代表例であります。 本記事で扱う事例もそのひとつか…

『李毛異同(27)』 -泣かずに魏延を焼き殺す

「李卓吾本」と「毛宗崗本」の違いはたくさんありますが、やっぱり面白いのは「李本」限定のエピソード、現在の『演義』では失われてしまったエピソードの存在です。 そんな「失われたエピソード」の中でも、この「孔明が魏延を焼き殺す」はもっとも有名なひ…

『李毛異同(26)』 -嚴輿と孫策

厳輿が至ると、孫策帳に招いて共に酒を飲んだ。その最中、孫策は剣を抜き払うと厳輿の座を斬って、厳輿は驚き転倒した。孫策は笑って「ちょっと戯れただけだ、驚くことなかれ。」と言い、厳輿に問い曰く「汝の兄はいかなる考えであろうか?」厳輿曰く「將軍…

『李毛異同(25)』 -孫策と太史慈

『三国志演義』第十五回、迫り来る孫策に対して、太史慈が先鋒となって出陣することを願い出ますが主君の劉繇はそれを退けます。その理由が、「李卓吾本」と「毛宗崗本」とで異なっていました。 李本・・・你未だ大将為らざるべし。(你未可為大将。) 毛本・…

『李毛異同(24)』 -呂布が劉備の家族を保護する

張飛城外にて士卒を招呼し、城を出づる者盡く飛に随い淮南に投じて去る。呂布、城に入り居民を安撫、軍士一百人に令して玄紱の宅門を守らしめ、諸人入るを許さず。(「毛本」第十四回) 『演義』第十四回、徐州を乗っ取った呂布でしたが、その時に城内にとり残…

『李毛異同(23)』 -李傕、帯剣する内侍に慄く

賈詡地に拜伏して曰く「固より臣の願う所なり。陛下しばらく言う勿れ、臣自ら之を図らん。」帝涙を収めて謝す。 しばらくして、李傕來り見え、帯剣して入る。帝の面土色の如し。傕帝に謂いて曰く「郭艴臣ならず。公卿を監禁し、陛下を劫かさんと欲す。臣非ざ…

『李毛異同(22)』 -悪女連環の計

かつて王允は貂蝉で以て「美女連環の計」を仕掛け、董卓と呂布の間を裂くことに成功しました。 それが第十三回にて、今度は楊彪が郭艴の妻で以て離間計を仕掛け、李傕と郭艴の間を裂こうとします。それは結果として両者を仲違いさせることはできましたが、し…

『李毛異同(21)』 -呂布の亡命先

陳宮曰く「今曹兵の勢大にして、未だ与に爭うべらかず。先に尋ねて安身の地を取る、時において再來するに遅からざる。」布曰く「吾再び袁紹に投ぜんと欲す、何如?」……(袁紹はこれを拒んで)紹遂に顏良を遣り兵五萬を将せしめ、往きて曹操を助く。布大いに驚…

『李毛異同(20)』 ‐劉備の自刎未遂

『三国志演義』第十一回、曹操を退けた劉備に対し、陶謙たちはしきりに徐州を譲ろうと勧めます。 まず陶謙が勧め、それを劉備が断り、糜竺が勧め、劉備が断り、陳登が勧め、劉備が断り、陳登と孔融が勧め、劉備が断り、陶謙が泣いて懇願し、関羽と張飛が勧め…

『李毛異同(19)』 -劉岱は一人だけ

後漢末、劉岱公山という人物が同姓同名同字で二人いた事はよく知られています。兗州牧として反董卓連合に加わったの劉岱と、曹操配下として徐州の劉備を攻めた劉岱ですね。 そしてこの二人が『三国志演義』では混同されて同一人物として扱われていることもま…

『李毛異同(18)』 -种拂の最期

李傕、郭艴兵を縦にして大掠す。太常卿种拂、太僕魯馗、大鴻臚周奐、城門校尉崔烈、越騎校尉王頎、皆な國難に死す。(「毛本」第九回) 「毛宗崗本」ではこの様に一括して名前が並べられているだけですけれど、「李卓吾本」では种拂のちょっと格好いい最期が描…

『李毛異同(17)』 -名将李肅の死

牛輔、李肅の備えざるに乗じ、竟るに寨に來り劫かす。肅軍亂竄し、敗走すること三十餘里、軍を折くこと半ばに大なり。來たりて呂布に見え、布大いに怒り曰く「汝何んぞ吾の銳氣を挫かん!」遂に李肅を斬り、軍門に頭を懸ける。(「毛本」第九回) 旧董卓軍を追…

『李毛異同(16)』 -李儒の最期

以前に別な記事でも取り上げ、また卒論でも重要な事例として利用しました。 李儒は大地に縛られけるが四方の軍民日ごろの恨をすすがんとて、争そうて其肉を一口づつ啖て、遂に喰い殺せり。(「李本」第九回)*1 王允は市中に引き出して斬首するように命じた。(…

『李毛異同(15)』 -「呂」旗を掲げる道士

董卓車上に在りて、一道人を見ゆ。青袍白巾、手に長竿を執り、上げて布一丈を縛り、「呂」字を大書す。(「李本」第九回) 次日の侵晨、董卓列を擺べて入朝すれば、忽ち一道人を見ゆ。青袍白巾、手に長竿を執り、上げて布一丈を縛り、両頭に各「口」字を書す。…

『李毛異同(14)』 ‐李儒の病欠

(董卓)即ち(長安)城外に至り、百官俱に出でて迎接す。只だ李儒は病を抱く有りて家に在り、出でて迎うるあたわず。(「毛本」第九回) 董卓暗殺の直前、帝位を餌におびき寄せられた董卓が長安に到着した場面ですが、この一段落は「毛宗崗本」によって新たに挿入…

『李毛異同(13)』 ‐郿塢に侍らせる

(董卓は郿塢を築き)……民間に少年美女八百人を選び、其の中に實たす。(「毛本」第八回) (董卓は郿塢を築き)……民間に美貌たる女子の年二十以下十五以上の者八百人を選び、充たし婢妾に作る。(「李本」第八回) いいのかい?そんなにホイホイ満たしちゃって(毛本)

『李毛異同(13)』 ‐郿塢に侍らせる

(董卓は郿塢を築き)……民間に美貌たる女子の年二十以下十五以上の者八百人を選び、充たし婢妾に作る。(「李本」第八回) (董卓は郿塢を築き)……民間に少年美女八百人を選び、其の中に實たす。(「毛本」第八回) 李卓吾ですね(迫真)

『李毛異同(12)』 ‐袁術の書状

異日、印を奪い路を截つは、乃ち吾が兄袁紹の謀也。今紹は又劉表と相議し、兵を起し江東を襲う。公速やかに兵を興し荊州を取るべし、吾当に与に動き袁紹を挟んで攻めんとし、二讐を報ずべし。(「李本」第七回) 袁術が孫堅に同盟を持ちかけ、荊州を攻めさせよ…

『李毛異同(11)』 ‐劉表の出自

荊州刺史劉表、字は景升、山陽高平の人なり、幼時、漢末の名士七人有ると結交して友と為す。時に江夏八俊と号す。……表は身長八尺余有り、姿貌甚だ偉たり、乃ち漢室の宗親にて劉勝の後なり。(「李本」第六回) 『後漢書』は劉表の祖先として魯王劉餘を挙げてお…

『李毛異同(10)』 ‐董卓が三公諸侯を任じる

李儒卓に名流を擢用するを勸め、因りて蔡邕の才を薦す。(「毛本」第四回) 昨日は蔡邕の辟紹について書きましたが、実は毛宗崗はこのエピソードを挿入するにあたって、その代わりに同じ箇所にあった以下の挿話を削っていました。 黄琬を封じて太尉と為し、楊…

『李毛異同(9)』 ‐蔡邕を辟紹する

李儒卓に名流を擢用するを勸め、以て人望を収む。因りて蔡邕の才を薦す。卓命じ之を徵せど、邕赴かず。卓怒りて、人をして邕に謂わしめて曰く「來らざれば、當に汝の族を滅さんとす。」邕懼れ、只だ命に應じて至たりうるのみ。卓、邕を見て大喜す。(「毛本」…

『李毛異同(8)』 ‐呂布の登場

これは実際に見て比較していただきましょう。 拙い書き下しで申し訳ないですけど・・・。 董卓之を視れば、乃ち荊州刺史丁原なり。卓怒り叱して曰く「我に順うは生、我に逆うは死なり!」遂に佩劍を掣し丁原を斬らんと欲す。 時に李儒は丁原の背後の一人を見…

「李卓吾本」と「毛宗崗本」について

『三国志演義』にはバリエーションがあります。 現代の小説がずーっと同じテキストを出版し続けるのとは違い、この様な古典作品は、非常に長い年月、非常にたくさんの出版者の手に渡り、その都度"よりよい形"に改められ続けてきたからです。これをよく「版本…