『李毛異同(17)』 -名将李肅の死

 牛輔、李肅の備えざるに乗じ、竟るに寨に來り劫かす。肅軍亂竄し、敗走すること三十餘里、軍を折くこと半ばに大なり。來たりて呂布に見え、布大いに怒り曰く「汝何んぞ吾の銳氣を挫かん!」遂に李肅を斬り、軍門に頭を懸ける。(「毛本」第九回)

 旧董卓軍を追撃したはずの李肅は、牛輔に思わぬ大敗を喫し、それを怒った呂布によって処刑されてしまいます。かの李広の後裔と讃えられた名将李肅の最期としては全くあっけないものです。

 ところで「李卓吾本」以前には以下の一文があり、李肅の死が、呂布破滅の始まりとして位置づけられていました。

 肅已に死、三軍呂布の法度を畏れ、皆変心する有り。布自ら剛に負い勇に恃み、士卒を鞭撻す。軍の心已に離す。(「李本」第九回)

 対する毛宗崗は、李肅の死は呂布に父殺しをさせた罪による因果応報であると評語にて説明しています。「李卓吾本」が呂布の咎として位置づけていた本エピソードを、毛宗崗は李肅自身の罪であったと変更したのです。上記文を削ったのはその為でしょう。
 ストーリーの厚みを削っても「義を演ず」方を選ぶ、毛宗崗らしい改訂だと思います。