『李毛異同(15)』 -「呂」旗を掲げる道士

董卓車上に在りて、一道人を見ゆ。青袍白巾、手に長竿を執り、上げて布一丈を縛り、「呂」字を大書す。(「李本」第九回)

 次日の侵晨、董卓列を擺べて入朝すれば、忽ち一道人を見ゆ。青袍白巾、手に長竿を執り、上げて布一丈を縛り、両頭に各「口」字を書す。卓、李肅に問いて曰く「此の道人何の意や?」(「毛本」第九回)

 謎の道士が呂布を暗示させる旗を掲げていたという、董卓の破滅を暗示する兆しのひとつですが、太字箇所の通り、「李卓吾本」と「毛宗崗本」では書かれてる文字がちょっとだけ違っています。
 「李卓吾本」は呂布の姓である「呂」
 対して「毛宗崗本」は「口の字がふたつ」と、一見して呂布と分からぬようより暗号めかしています。
 些細な改訂ですけど、より読者を楽しませようという毛宗崗の姿勢が垣間見えますね。*1


 また余談ですけど、『通俗三国志』はこの挿話自体をカットしてます。ところがそれを底本にしたはずの『吉川三国志』にはあります。
 なのでこれは吉川英治が『通俗三国志』以外の「三国志」を参照した証拠である、って卒論で書きました。

*1:ちなみにこの挿話の典拠ですが、『三国志董卓伝が引く『英雄記』だと思います。ここで書かれていたのは「呂」の字でしたから、「李卓吾本」以前の版本はこれを踏襲したんですね。
また『三国志集解』が引用するところによると、華嶠『後漢書』と『幽明録』に類似するエピソードがあるそうで、それぞれ『後漢書』では「回」の字、『幽明録』では「大きな口と小さな口」の字でした。毛宗崗はこんな一工夫を参考にしたのかもしれません。