『李毛異同(11)』 ‐劉表の出自

荊州刺史劉表、字は景升、山陽高平の人なり、幼時、漢末の名士七人有ると結交して友と為す。時に江夏八俊と号す。……表は身長八尺余有り、姿貌甚だ偉たり、乃ち漢室の宗親にて劉勝の後なり。(「李本」第六回)

 『後漢書』は劉表の祖先として魯王劉餘を挙げておりますが、ここでは何故か「劉勝」としています。劉勝、と言えばあの中山王のことでしょう。劉備の祖先の。
 あえて"改変"までして劉備と同族に据えるとは、よほどの意味がありまそうですが、あるいは単なる誤記か偶然かも、、、はて。


 ちなみに「毛宗崗本」は「漢室の宗親」とするのみでその血縁を書きません。
 さらにちなみに「嘉靖本」ですと、「劉叡」と書いています。漢代の皇族で劉叡という人は、ちょっと誰のことか分かりません。誤字でしょうか?
 この様に三版本で異なるとなれば、これは他の版本にもあたってみなくてはなりません。