『李毛異同(16)』 -李儒の最期

 以前に別な記事でも取り上げ、また卒論でも重要な事例として利用しました。

 李儒は大地に縛られけるが四方の軍民日ごろの恨をすすがんとて、争そうて其肉を一口づつ啖て、遂に喰い殺せり。(「李本」第九回)*1

 王允は市中に引き出して斬首するように命じた。(「毛本」第九回)*2

 ここまで残酷な死を用意された人物と言うと、『三国志演義』ではちょっと思い当たりません。その死骸を散々に痛めつけられた董卓自身と併せて、いかに彼らが邪悪な存在として処分されたかがよく分かります。

 しかし毛宗崗はこれらをよろしく思わなかったのか、単に斬首に処したと改めています。
 そして『吉川三国志』もまた、この箇所に限っては「毛宗崗本」に従って改め、『通俗三国志』の残虐性を避けました。
 李儒という有名な人物の、インパクトあるこの最期が現在意外に知られていないのは、そんな吉川英治の配慮によるものでした。

*1:『通俗三国志』より

*2:立間訳より