『李毛異同(24)』 -呂布が劉備の家族を保護する

 張飛城外にて士卒を招呼し、城を出づる者盡く飛に随い淮南に投じて去る。呂布、城に入り居民を安撫、軍士一百人に令して玄紱の宅門を守らしめ、諸人入るを許さず。(「毛本」第十四回)

 『演義』第十四回、徐州を乗っ取った呂布でしたが、その時に城内にとり残された劉備妻子をきちんと保護し、害が及ばぬよう配慮していました。呂布らしからぬ一幕です。

 その理由について、李卓吾は「弟兄之情」があったからだと説明しています。呂布は第十三回に劉備に保護されて以来、劉備を弟と呼んでおり、劉備も一応呂布に兄事していました。そういった呂布なりの"義"があったという訳ですね。
 ところが毛宗崗は、「李卓吾本」のこの理由を削り、別の理由を評語において説明しています。つまり「此は呂布の情けに非ず、乃ち玄徳の曹操の書を示すの情に感ずるなり」であると。
 これは劉備曹操の「二虎競食の計」にも関わらず、呂布に正直にその密書を示し、信を示したエピソードのことを言っています。この時劉備は、張飛にまでお人好しすぎると呆れられていましたが、劉備の義心はあの恩知らずの呂布さえも感ぜしめていた、と毛宗崗はしている訳です。
 呂布の義を劉備に置き換えた、巧みな改変だと思います。