『李毛異同(27)』 -泣かずに魏延を焼き殺す

 「李卓吾本」と「毛宗崗本」の違いはたくさんありますが、やっぱり面白いのは「李本」限定のエピソード、現在の『演義』では失われてしまったエピソードの存在です。
 そんな「失われたエピソード」の中でも、この「孔明魏延を焼き殺す」はもっとも有名なひとつです。

 急退兵時、只聽得喊聲大震、山上火把一齊丢將下來、燒斷谷口。懿大驚無措將人歛在一處。山上火箭射下、地雷一齊突出、草房内乾柴皆着。
 魏延望後谷中而走、只見谷口壘斷、仰天長歎曰、「吾今休矣。」
 司馬懿見火光甚急、乃下馬抱二子大哭曰、「吾父子斷死于此處矣!」
 正哭之間、忽然狂風大作、黒霧漫空、一聲霹靂響處、驟雨盆傾。滿谷之火、盡皆澆滅、地雷不響、火器無功。
          (「李卓吾本」第一百三回「孔明火焼木柵塞」)

 言未已、只聽得喊聲大震、山上一齊丟下火把來、燒斷谷口。魏兵奔逃無路。山上火箭射下、地雷一齊突出、草房内乾柴都著。刮刮雜雜、火勢沖天。
 司馬懿驚得手足無措、乃下馬抱二子大哭曰、「我父子三人皆死於此處矣!」
 正哭之間、忽然狂風大作、鄢氣漫空、一聲霹靂響處、驟雨傾盆。滿谷之火、盡皆澆滅、地雷不震、火器無功。
          (「毛宗崗本」第一百三回「上方谷司馬受困 五丈原諸葛禳星」)


 原文を見ての通り、太字になってる魏延望後谷中而走、只見谷口壘斷、仰天長歎曰、吾今休矣。」の部分がごっそりないです。「毛本」には。

 場面としては最期の北伐。諸葛亮司馬懿らを葫芦谷へと誘い込み、火計で以て一挙に殲滅せんと図ります。計略は見事に図に当たり、絶体絶命の危地に追いやられる司馬懿父子。
 ところがこの時、おとり役として司馬懿らを誘導した魏延までもが谷へ閉じ込められてしまいます。これを好機に反骨の魏延もろとも殺してしまおうという、諸葛亮の謀略だったのです。やっとそれに気付いた魏延は天を仰いで悔しがります。
 ところが直後、唐突な豪雨により、諸葛亮の火計は無に消えてしまいます。天佑が司馬一族を生かしたのです。
 結果として魏延も生き伸びてしまったため、当然激怒した魏延諸葛亮に詰め寄ります。すると諸葛亮、その責任をすべて馬岱におっかぶせ、鞭打ちの刑に処した挙句、魏延の部下に降格させてしまいます。
 「泣いて馬謖を斬る諸葛亮らしからぬこの仕打ちは、もちろん更なる計略への布石でした。つまりあの有名な「俺を斬れる者はおるか!」「ここにいるぞ!」の伏線がコレなのです。魏延誅殺に失敗した孔明は、とっさに魏延を殺す第二手を講じ、苦肉策で以て馬岱魏延の元へ送り込んだ、というわけなのです。

 以上が、「李卓吾本」以前の版本には広く見られた「諸葛亮魏延を焼かんとする」の挿話のあらましです。
 「毛宗崗本」がこれをそっくり削ってしまった理由は、おそらく公正誠実な諸葛亮の人物像にふさわしくないと考えたからだろうと思います。毛宗崗は、ストーリーのおもしろさよりも、「かくあるべしという大義」を明確にする方を優先する傾向があります。『演義』の「義」を体現する諸葛亮は、こんな奸計をしてはならないのです。
 しかしここで魏延謀殺未遂、ひいては馬岱への処分を削ったために、「毛宗崗本」では「俺を斬れる者がおるか」の場面で馬岱が「いた」理由がはっきりとしなくなってしまいました。創作としては、不十分なところであります。


 こんな風に、「毛宗崗本」では多くの魅力的なエピソードが削られてしまったのですが、貴重なことに、日本人は今でも「失われた挿話」を読む方法を残しています。それが『吉川三国志』です。
 「李卓吾本」を翻訳した『通俗三国志』があり、そして『通俗三国志』をほぼそのままに書いた『吉川三国志』がある。本来は失われたはずの古い『演義』のカタチはこの様にして残されています。
 むしろ、『通俗三国志』と『吉川三国志』の圧倒的シェアを見るに、古き「李卓吾本」こそが日本「三国志」の主流と言ってもよかろう、と僕は思います。
 『吉川三国志』は吉川英治歴史小説である以上に、『李卓吾先生批評三国志演義』であるわけです。*1

*1:この挿話について、竹内真彦先生の論文「泣かずに魏延を焼き殺す」がお詳しいので、『三国志演義』に興味がある方はぜひ読んでみてください。